「農す神戸」
里山+都市。神戸市北区のちょうどいい暮らし

農す神戸 no.2

大変だからこそ、一生挑んでいける 茅葺きが普通の風景になるといい

茅葺き職人(見習い)/淡河かやぶき屋根保存会/阿部 洋平さん/42歳/山田町

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どうしても茅葺きにたずさわる仕事がしたい、と茅葺き民家が数多く残る神戸・北区へ移住。国内でも数少ない茅葺き職人のもとで、古民家の茅葺き作業や茅葺き文化を伝える取り組みに挑み、やりがいに満ちた修行の日々を過ごしている。
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茅葺き職人になる、という決意を胸に

 

港町のイメージが強い神戸。けれど、六甲山を越えた北区には豊かな田園風景が広がり、約700棟(平成27年度調査)の茅葺き民家が残っている。かつて、茅葺き屋根の民家は農村で数多く見られ、その土地に生息しているススキやヨシ、イナワラなどが材料に使われていた。茅葺き屋根は定期的に取り替えたり、継続的に手入れをする必要があるため、屋根を葺き替え合う共同作業が村の中で普通に行われていた時代に活躍していたのが、茅葺き職人。阿部さんは茅葺き職人になる夢をかなえるために、東京から北区へ移り住んだ。

 
 

震災を機に、東京から石巻、神戸へ

 

阿部さんにとっての原風景は、新潟の祖父の家。美しい景色の中、農業にいそしむ姿に影響を受け、定年後は自分も自給自足の生活がしたいと考えるように。農業が身近にあった環境の中、茅葺きにもいつの間にか興味を持っていたものの、約16年間は関東や上海で茅葺きとは無縁のサラリーマン生活を送っていた。ひとつのきっかけとなったのが、2011年に発生した東日本大震災。ボランティアとして宮城県石巻市へ行き、茅葺きを手がける会社があることを知った。「復興支援に関わりながら、茅葺きの技術も学べれば」と阿部さんは手伝いを申し出たものの、実際は津波で流れた何万枚もの瓦を洗い流す作業など、茅葺きからは遠い毎日。茅葺きに関わりたい想いがふくらむ中、神戸市北区のホームページとの出会いが最大の転機となった。「茅葺きといえば京都府南丹市美山町が有名なんですが、北区には750棟以上の茅葺きが今もあると記してあって」大きな衝撃を受けた阿部さん。「田園もまちもある神戸へ行こう。何度か行ったこともあるし」と車1台に荷物を詰め込み、2012年に移住した。

 
 

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1. 機械が使えないときは、茅を放り投げて屋根の上へ。 2. 秋の「茅葺き屋根とふれあう月間」に向けたイベントの打ち合わせ、有野町の古民家カフェ「スローライフ」にて。 3. 神戸に茅場を作る取り組みがスタート。ここは花山中尾台住宅地。 4. 茅葺きの魅力を伝えるワークショップ。参加した子どもは真剣そのもの。

 
 

すべきことが多いから、一生ものの仕事に

 

北区役所まちづくり推進課に茅葺きの仕事について相談したところ、京都・美山の茅葺き職人、塩澤実さんを紹介してもらい、塩澤さんの唯一の弟子で独立したばかりの相良育弥さんのもとで働き始めることになった。「相良さんは当時32歳、僕より若くて技術や感性がすばらしかった。彼の下で腕を磨きたいと思った」阿部さんは、まず「てったい」に。てったいとは、「お手伝い」のことで、材料をカットして渡したり、道具をそろえたり、茅葺き職人が屋根の上での作業に集中できるよう補佐をする役。体力、技術、知識、経験の他に持久力や精神力も必要で、数ヵ月で辞めてしまう人も少なくない。
担い手も材料も少なく、これからの時代には普及しにくいと思われやすい茅葺きの世界。けれど阿部さんは「課題が明確だから取り組みやすいし、一生挑んでいける。一人前になるまで5年ほどかかるけれど、80歳の職人もおられるし、後進の育成など役割は数多い」と明るく未来を見つめる。茅葺き職人の見習いである、丁稚としての修行が本格的にスタートしたのは2015年の春。「お前ん家、茅葺き?という会話が珍しいものではなくなるくらい、茅葺きが身近になるといい」と語る阿部さんの挑戦はまだまだ始まったばかりである。

 
 

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 ● 宮司 足利國紀さん
 「今日の子どもの笑顔は 祭りがなくなると見られなくなるんだよ」
 ● 芸妓 一晴さん・一まりさん・一琴さん
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 ● アートディレクター 安福友祐さん
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阿部さんのこれまで

 

埼玉県浦和市
(現さいたま市)出身
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東京都内の大学へ進学
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東京都内で2 社に勤務
サラリーマン生活約16 年
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2011年春に退職
宮城県石巻市の茅葺き会社へ
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2012 年、北区へ移住
北区歴3 年