新宮人 special no.11
新宮市出身の文豪。故郷をうたった歌が多く「望郷詩人」とよばれる。自転車が大好き。
代表作は「田園の憂鬱」「望郷五月歌」「秋刀魚の歌」など。
ピノキオを日本語に翻訳した。谷崎潤一郎など、さまざまな著名人と交流。西村伊作とも親しい。
戦後、熊野の大工さんから、「息子が大学に入る事になったが、履歴書に家業が大工と書くのが恥ずかしい」と相談を受けた春夫。履歴書の職業欄の「大工」に「業」を付け足し「大工業」と書いた。
一文字で職業を変える言葉の魔術師。
春夫の親友である谷崎潤一郎は芸者のお初に惚れていたが、お初は結婚していた為、妹の千代と結婚。しかし、千代の妹、おせいを好きになり、次第に千代との仲は冷めきっていく。春夫は千代に同情し、やがてその気持ちは恋心に変わる。
谷崎は千代と別れるから二人は一緒になればいいと言う。しかしその後、おせいにフラれたため、千代とやり直したいと言い、春夫激怒。谷崎と不仲になってしまう。その後、秋刀魚の歌が生まれる。
大正10年、千代と別れた春夫は、千代と娘・鮎子と3人でみかんの酢をしたたらせながら秋刀魚をついた日々を思い出し、1人涙を流しながら秋刀魚を食べている。もう会えない辛さを秋風に伝えてほしいとの思いを込めて詠んだのが秋刀魚の歌だった。
昭和5年、千代と別れ、東京で暮らす春夫。結婚して落ち着いたと思ったら、谷崎潤一郎が記者の丁美子と一緒になり、千代と別れる。春夫は妻と離婚し、千代と一緒になる。この年に生まれたのが望郷五月歌。
そして妻の千代を佐藤春夫に譲ったと谷崎潤一郎、佐藤春夫、千代の名前が入った挨拶状を律儀に出して公表。人気作家の大スキャンダルにマスコミ大騒ぎ。しかし、本人たちは自分の倫理観でやっていただけ。妻交換と書かれていることもあるが、交換ではない。
女性が変わるたびに必ず故郷へ戻り、両親に会わせて承諾を得る佐藤春夫と谷崎潤一郎。パートナーは両親に紹介するのが筋であった時代のせいか、とても律儀であった。しかし、地元の人々は故郷に帰って来るたびに違う女性を連れてくると噂していた。
律儀すぎる恋多き乙男。
庶民の食べ物である秋刀魚を題材にしたり、秋風に伝えてほしいという表現が当時は斬新であった。また、「五月晴れ」は本来、梅雨時の晴れ間の事を指すが、現在のように「五月のような晴天」という意味で使い始めたのは春夫だと言われている。「秋刀魚」という字を広めたのも佐藤春夫と言われている。
秋刀魚の歌の「女の児(こ)は小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言ふにあらずや」という部分の「くれんというにあらずや」は「ちょうだい」とも「あげる」ともとれるが、鮎子の娘である高橋百百子さんの「母は小さい頃から秋刀魚のわたが好きでした」という証言により「ちょうだい」という意味が正しい。
新宮市の偉人や文化についてもっと知りたい方は、佐藤春夫記念館へ。
辻本館長の話はおもしろい。
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推薦した約200人から、魅力的な女性を選抜し掲載しています。
その女性たちの暮らしや働き、語らいから、
新宮のことを知ってもらいたい
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そんな思いをぎゅっと詰め込みました。
女性の活躍に注目が集まる昨今、熊野信仰の歴史息づく
和歌山県新宮市を舞台に、ほかの地域にはない特色を
前面に打ち出したコンテンツを、市民、行政職員が
一体となって創造していきます。
「新宮人」プロジェクトのこれからに、ぜひご注目ください。
新宮市魅力発信女子部 一同