地元の海が育む海藻や魚介を 真心込めて加工するお母さん

漁船のスクリューに絡みつくなど、“ジャマモク”と呼ばれていた海藻アカモク。近年、抗ガン作用があるなど、栄養価が高いことが判明。越廼(こしの)漁業協同組合では、女性部代表である上野志津子さん(右)や北崎和代さん(左)を中心に2011年4月からアカモクの加工販売をスタートさせた。「毎日食べとるよ。便秘にいいのよ、みんな便秘がなおったーって」と上野さん。「とにかく海が大好きで」2008年まで日本中を航海するイカ釣り漁船の漁師だったというパワフルウーマンだ。郷土の味である、鯖や鯵(あじ)、いかのぬか漬け「こしのぬかちゃん」シリーズもほっぺが落ちるほど美味!

人をシアワセにする カニ剥き日本一の名女将

白浜荘の女将、通称“むきむきみっちゃん”の魅力は名物のカニ剥(む)きに加え、ひまわりのような明るさ、そして軽快なトークだ。越前海岸で生まれ育ち、小学校の頃から民宿を営むことを夢見ていたという。結婚相談所で相談員として120組以上をゴールインさせた後、民宿をオープン。「夢をかなえたいと思ったら夢をもたなきゃ」。人を喜ばすことが大好きで、それが高じてカニ剥きが名人芸にまでなってしまった。「常にお客さんの心に寄り添っていきたい」とみっちゃん。「越前ガニは味噌が濃厚で甘いからね」と作ってくれた、カニ味噌ご飯の甘いことと言ったら! ぜひご賞味あれ。

自然にやさしい生き方を求めて 自給自足の生活を営む

旧美山町の山間部に位置する風情のある古民家。元は製材所だった場所だ。叡塾(ほうえいじゅく)という生活塾のメンバーが、20数年前、自然と調和した自給自足の生活を求めて、東京からこの地へと移り住んだ。「有吉佐和子の『複合汚染』を読んで、化学肥料が環境に与える影響を知って衝撃を受けました。自然と寄り添って生活していくために私たちは何をすべきか。それが田舎での自給自足の生活でした」と川俣奈美枝さん(右から2番目)。当初は近隣の農家さんに教えてもらい、畑作業も見よう見まねだったという。今では鶏やチャボも飼育し、夏には川魚を釣って薫製にしたり、秋にはキノコ、春には野草や山菜を採ったりと、食料は60%自給でまかなえるようになった。「自然の恵みをいただいて贅沢な生活をしていますね」と塾長の谷崎篤輝さん(中央)。建物の一部は「caf´e手の花」として開放しており、週末には手作りの薪窯で焼き上げたパンを販売している。“真の豊かさ”とは何か、考えさせられる特別な場所だ。

戦国武将・朝倉家5代の城下町の栄枯盛衰を伝える名物案内人

戦国時代の武将朝倉義景(よしかげ)が城を築き、織田信長に滅ぼされるまで5代に渡って拠点とした、一乗谷。一時期は人口1万人もの栄えた城下町だった。440年の時を経て、屋敷の礎石(そせき)や町並が当時のまま出土。復原された商家を見ながら、「商人の家にも刀と腹巻鎧が置いてあった。彼らも戦に参加しなければならなかったことがわかります」と語る、朝倉氏遺跡保存協会の会長、岸田清さん(中央)。文化的価値が高いのに知名度が低かった一乗谷。地元出身の岸田さんは「この場所にスポットが当たらなかったら、文化遺産のためにこの地を手放した地元の人たちに申し訳が立たない」と感じていた。そんなとき、観光アドバイザーとして訪ねて来たのが中学校時代の親友。「46年ぶりの再会を喜び合いました。不思議な縁でしたねぇ」。一緒に一乗谷をどう盛り上げるか話し合い、観光ポスターを制作することに。携帯電話のCM効果も相まって観光客は増加。「一乗谷が引き合わせてくれたんだなぁって感謝しています」。

今を生きる 100年目の呉服屋三代目

太い眉にしっかりした目鼻立ちの酒井茂美さん(中央)は、「しげみちゃん」と呼ばれるのが悩みの種、という呉服のさか井」のお茶目な三代目。福井県に呉服屋の数が多いのは、「やっぱり人付き合いを大切にするとこやから」と茂美さん。対面販売が主の呉服屋は、人とのつながりを生む仕事でもある。だが最近深刻なのは着物離れだ。そこで、子どもの頃から和文化に親しんでもらおうと、小中学校で風呂敷の使い方や浴衣の着付けを教えている。和装教育を通じて新たな出会いも生まれた。「時代が変わっても人と人をつなぐ役割は変わらんのやわ」嬉しそうにそう語った。

駅前商店街からパリを発信 半分福井人!?の仏出身デザイナー

福井駅前商店街にある、ブティック「7amour(セットアムール)  」。ヴィルジニー・ルフェーヴルさんはこの店のオーナー兼デザイナーだ。2007年、料理人である旦那さんとの結婚を機にパリから福井市へ。有名ブランドでデザイナーを務めたパリ時代、「メイド・イン・フクイの生地の質の高さは知っていたけど、どこにあるのか知らなかった(笑)」という。2008年から福井メイドの生地をフルに活用し、“パリの物語”をテーマにした、自身のブランド「ヴィルクシィニー」を展開。福井の食が大好きで、特におろしそばに目がない。「今では半分福井人、半分パリジェンヌです」とニッコリ。

エキマエを盛り上げろ! つながりを作り出せ!

ある日の深夜。新栄商店街の一角から、なにやら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。駅前商店街の活性化を目指す「きち(基地)づくり福井会社」が主催する、商店街のアーケードに机を並べて開催する飲み会・キチバルだ。月1回さまざまな職種の人々が集まり、夜通し語り合う。もちろん飛び入り参加も大歓迎だ。その他にも、人が集う“エキマエ”になるよう、さまざまな催しを仕掛けている。「15年後、リタイアしたときに(福井)駅前に住みたい。そのために、住みやすい町にするの(笑)」そう照れ隠しに笑う中心メンバーの一人の景山さん。福井のエキマエから目が離せない。

日本の食を支える名品種

「越の国に光り輝くように」と願いを込めて名付けられたコシヒカリ。実は福井発祥なことをご存じだっただろうか。ここ30 年以上、日本でもっとも多くつくられている人気の米で、この生みの親が福井出身の石墨(いしずみ)慶一郎氏だ。今は亡き石墨氏は福井県農業試験場に勤務し、30 年近くコメの品種育成に携ってきた。多収のホウネンワセにコシヒカリと、作付面積日本一の品種を二つも育成。現場の視点を忘れない熱心な研究者で、を二つも育成。現場の視点を忘れない熱心な研究者で、退職するまでほとんど白衣を着ず作業着で通したという。「あきたこまち」や「ひとめぼれ」などコシヒカリの系譜の品種は多く、氏の功績は今も日本の食を支えている。